日本語勉強

I'm currently studying Japanese.

My mom speaks Japanese. To help me practice, once a week she writes me a small text and records herself reading it. We decided to post these texts and audios here, so they might help other people also looking for material in Japanese to practice. Recently, my friend and Japanese teacher Tainã has also started writing and recording audios in Japanese, so we'll add them here as well.

飛行機

私は年に一回ぐらい長いお休みをもらって旅行に出ます。

ブラジルに行ったり、ヨーロッパに息子に会いに行ったり、ほとんどの旅は海外旅行です。その旅行に行くときと帰るときも必ず一回は死にそうな体験が起こります。 それは飛行機に乗っているときです。乱気流(らんきりゅう)が必ず来ます。いつ来るか、もうすぐか、まだ来ないのか、ずっとストレス状態です。来ると激しく、上下(じょうげ)にゆれます。 「来た。来た。始まった。」両手に汗をかき、しんぞうはドキドキ。今度こそ死ぬかもしれない。「落ちるに決まってる。いま落ちちゃう。皆、死んじゃう。もう、おしまいだ。」 客室乗務員(きゃくしつじょうむいん)の顔をのぞいて見ると全然平気そうです。絶対、平気なフリをしているだけだと思うしかない。だって、人を安心させることが自分の仕事でしょう。
ゆれは長い。全然落ちつかない。1分(いっぷん)ゆれても、15分(じゅうごふん)ゆれてるだと感じます。
やっと、ゆれが落ち着きます。リラックスの時間です。でも、一回だけで終わることはないです。安心はできません。

落ちちゃう = 落ちてしまう

死んじゃう = 死んでしまう

2020年7月19日

なんかの本で読んだ話し。

ある山の麓(ふもと)で、おじいさんと孫が、山鳩(やまばと)の雛(ひな)を育てていた。その山の反対側に、別のおじいさんと孫がいて、こっちは鷹(たか)の雛を育てていた。それぞれの雛が成長して、飛べるようになったんで、ある日、空に放してやった。そしたら、鷹が山鳩を食べてしまった。山のこっち側では、山鳩が食われたって泣いた。向こう側では、鷹が初めて餌(えさ)を得ったって喜んだ。一つの現象なのに、山のこっちと向こうでは、まるで正反対のことが起きたことになった。

妙(みょう)な話しだけど、人生の喜びや悲しみは、根本的(こんぽんてき)にそういうものだ。この世で起きることには、本来、何の色もついていない。

そこに、喜びだの悲しみだの色をつけるのは人間だ。

麓:山の下の部分

雛:鳥の子供

山鳩:山に住む鳥

鷹:肉食の鳥で、山鳩より大きい

得る:(手に入れる

正反対:全く反対なこと

日系人

1908年に日本人が初めてブラジルに移住しました。 781 (七百八十一)人の日本人が船に乗って、60日かん海を渡って、コーヒーの農園で働くため、サンパウロ州、サントス市に到着しました。その船の名前は “KASATO MARU”でした。

その後も、なんせきの船がブラジルに日本人を乗せて、サントス港に到着しました。私のおじいちゃんとおばあちゃんは 1923年 にブラジルに移民しました。第一次世界大戦の終わりで (Fim da 1a. Guerra Mundial) 、日本には ”関東大震災” (O Grande Sismo de Kanto) が起こった年でした。(1923年に関東地方に発生した巨大地震 です。)

私のお父さんとお母さんは日系人同士で結婚しました。両親はブラジルで生まれたので日系人二世で、私は日系人三世です。私はブラジルで結婚して、男の子が一人います。その男の子はハーフで、日系人四世になります。

私が日本に来たのは、20年くらい前でした。ブラジルは不景気で、仕事もなかったからです。出稼ぎとして、スズキ工場に車の部品を作りに来ました。子供の教育のために日本でいっしょうけんめい働きました。

ブラジルでは子供の時からいい学校で勉強させたいと思うとお金がかかります。日本と違って、公立の学校では十分な教育ができません。

子供の教育が何よりも大切なことでしたので、日本へ来て、10年かん、子供が私立の学校で勉強できるため、毎月、お金の仕送りをしました。

そのおかげで息子は教育をしっかり受け、いい仕事につきました。

今、彼は奥さんと一緒にヨーロッパ、すなわち、オランダで生活しています。彼はブラジル国せきからオランダ国せきの交換を請求していますが、国せきを変えっても、日系人であることは変わりません。

ローストビーフ

先週、ウチの近くにあるレストランに3人で晩ご飯を食べに行きました。

そのレストランは肉専門のお店です。

一番人気のメーニューはローストビーフです。

「とってもやわらかくて、口に、ふわっと、とける」とほとんどの日本人が言っています。肉は赤くて、とってもふんわりです。その上に、なまたまごをのせてあります。肉と生卵をまぜながら、おいしい〜 と言って、ふたりは食べていました。

私にはちょっと、さしみっぽいです。ローストビーフ好きだけど、ステーキにしました。ステーキがくるまで時間がかかりましたが、すごいおいしかったです。

7月1日(しちがつ、ついたち)は おっとの誕生日でした。北海道というお店で寿司を注文しました。そのお店は新鮮な魚を使って、とってもおいしい寿司を作っています。そこに食べに行くと、昼でも晩でも、いつでも、人が多くて、待ち時間もながいです。

ほとんどの寿司は生です。たとえば、なまかに、なまえび、うにの刺身、かにみそ、など。最初のとき、ほとんどの寿司は食べませんでしたが、今はちょっとなれてきて、何でも食べれますが、そんなにおいしいい〜とは思いません。

ウチのふたりは刺身なら、全部、ペロリと食べます。

うに ー ouriço do mar (é bem amarelo e espumoso). É bastante caro e popular aqui.

うなぎ ー outro peixe caríssimo e que todos gostam. É aquela cobra comprida, que come com molho adocicado.

まだ 6月なのに、毎日、あつい日が続いています。 今日は朝から雨がふっています。 天気よほうを見ると、今日から一週間後、ずっと、雨マークになっています。 でも、最近、天気よほうをあてにすることは、まったく、できません。 先週の木曜日と金曜日のことですが、天気よほうには大雨と出ていました。おなじように、テレビでも、大雨になると言っていました。 それを聞いて、私は家から出かけませんでした。 すると、その二日間、朝に雨がちょっと降っただけで、すぐ、くもりになって、午後からは晴れた天気に変わりました。 そのことを思い出して、今日は、雨が降らないだろうと思いましたが、まどから外をのぞいて見ると雨が ザーザー ふっています。 どしゃぶりになるかもしれません。 天気予報よりも私の予報の方がハズレかもしれません。

ザーザー = オノマトペ = (擬声語)ぎせいご

2020年6月21日

今日はブラジルと日本、両国の違いの話です。

・日本では 家に入る前には 靴をぬぎます。家の入り口に 玄関(げんかん)という所で靴をぬいで、スリッパをはきます。

・日本のあいさつは お辞儀(おじぎ)と言います。キス、ハグ、あくしゅより、頭を下げます。あやまるとき、感謝するときも おじぎをします。

・フォークとナイフの代わりに はしを使います。めん以外の 食べ物は 食べやすく、小さく切ってあります。

・ブラジルの食事は ほとんど 肉と揚げ物です。日本ではよく 魚、大豆(ダイズ)からできた食べ物(豆腐、しょうゆ、みそ、など)、 海藻(かいそう)(わかめ、のり、など)を食べます。もちろん、日本人に欠かせない飲み物はお茶です。

・ほとんどの日本人はまず、相手のことを考えます。日本人は親しくない人とは話しません。他人の生活について、自分のいけんは言いません。ブラジ人は自分のこに対して気にします。相手のことはあまり考えません。

・日本人は時間を守ります。バス、電車、新幹線など、すべて、時間を守ります。

・チープの習慣はありません。サービス業はすべておもてなしです。

・どこに遊びに行っても自分のゴミは持って帰ります。家のゴミに捨てます。日本ではゴミの分別も非常にきびしいです。

・自分の家も自分が働く会社も毎日、掃除をします。住んでいる所も、近所の人達が集まって、みんなで掃除をします。

・かぜをひくと必ずマスクをして外に出ます。他の人に自分の病気をうつさないようにです。

・結局、日本人はがまん強いです。どのような状況でも考えてることを口に出さない、文句言わない。黙ってなんでも自分の心に押さえます。

今日はここまでにします。

また、この話を続けたいと思います。

外国人にとって、日本人は不思議な人間です。

私もそう思います。

日本の歴史とか文化のことをちょっと分かって、日本人の考えもちょっと分かってきました。

タイナ 2

私はいつも朝ごはんを食べます。パンと果物をよくたべます。ときどきパンケーキを食べます。卵はぜんぜん食べません。卵は好きじゃないです。肉もたべません。ハムとか、チーズとか、好きじゃないです。

朝、コーヒーをよく飲みます。ときどきオレンジジュースものみます。牛乳は飲みません。

日本人の朝ごはんはパンとコーヒーです。でも、昔、日本人の朝ごはんはご飯と味噌汁と、魚でした。今でも、ときどきご飯を食べる人もいます。

旅館に行くと、朝ごはんはいつもご飯と味噌汁です。

サンパウロには Blue Tree っていう日系人のホテルがあって、そのホテルでは

日本風の朝ごはんがあります。

2020年6月14日

ブルーノの子供の頃の話です。

5歳ぐらい、ある保育園に通っていました。

その時の思いでを話します。

彼はピンクの色が大好きでした。T-シャツ、歯ブラシ、ランチバックなど、全てピンクでした。

でも、保育園の先生はピンクは女の子の色だと言っていました。ブルーノは正直な子供だったので、私にその先生の話をしました。「ピンクが好きなら、それでいいよ」と私は言いました。次の日、そのまま、私が行ったことを先生に伝えました。お母さんがそう言ったので、先生は色のことについては何も言いませんでした。

子供達の誕生日には必ずパーティーがありました。お祝いの日でした。誕生日ケーキは母親が学校に持っていって、ジュースはそれぞれ名前を書いて、自分の好きなジュースを持って行くようになっていました。

子供なのにジュースよりもトニックウオーターが好きで、いつもトニックウオーターばかり持って行きました。誰かが間違えないように毎回、しっかりと名前を書いていました。

そのトニックをピンクバックに入れて学校へ持っていくのが楽しみでした。

タイナ

はじめまして、タイナです。よろしく おねがいします。

私はブラジル人です。サンパウロにすんでいます。仕事は日本語の教師です。

ポルトガル語と、日本語と 英語がすこし できます。

父は日本人です。母はブラジル人です。

父は日本で大学の教師です。さなえさんと結婚しています。9歳の娘がいます。

まなちゃんです。父もポルトガル語と英語ができます。

母は今、アメリカにすんでいます。母も教師です。日本語と英語がすこしできます。

私は妹が三人います。

まなちゃんと、大空と光です。大空はポルトガル語で 「Grande ceu 」という いみです。光は「luz」という いみです。まなは「amor」といういみです。

大空は27歳です。ニューヨークにすんでいます。光は24歳です。日本にすんでいます。二人とも、デザイナーです。

私はこどもが一人います。10歳の女の子です。彼女はあまり 私に似ていません。

私の妹、大空に似ています。

2020年6月7日

特に日本ではあいさつがとても大切です。

日本語の勉強を始める前に、まずあいさつを学ぶのが良いかもしれません。

例えば、朝、起きて「おはようございます」と言います。

家を出る時には「行ってきます」と言います。そして家にいる人は「行ってらしゃい」とへんじします。

うちに帰ってきたら「ただいま」、相手は「お帰りなさい」とこたえます。

昼なら「こんにちは」、夜なら「こんばんは」と言います。

食べる前には必ず「いただきます」。終わったあとには「ごちそうさま」か「ごちそうさまでした」と言います。

寝る前には「お休みなさい」と言います。

「すみません」、 「しつれいします」か「失礼しました」。

「ごめんなさい」と言う言葉はたくさん使います。

「どうぞ」、例:どうぞ、食べて下さい。

「どうも」の意味はありがとうです。

「おつかれさまです」か「おつかれさまでした」。その言葉もよく使います。

これらの言葉を学んだら、日本人とコミュニケーションがもっと簡単にできると思います。

カラオケ

カラオケで歌いました。

土曜日の夜、旦那(だんな)とカラオケに行きました。

カラオケで日本語のうたと英語のうたを歌いました。

カラオケは家から近いです、10分(じっぷん)くらいで行けます。二人 (ふたり)はそこまで歩いて行きました。

そのカラオケはとても安いです。

それに飲み物とか食べ物とかは自由に持って行けます。

お酒も持って行けます。

カラオケのとなりにコンビニがありますので、まず、そこで買い物してからカラオケに行きました。