日系人

1908年に日本人が初めてブラジルに移住しました。 781 (七百八十一)人の日本人が船に乗って、60日かん海を渡って、コーヒーの農園で働くため、サンパウロ州、サントス市に到着しました。その船の名前は “KASATO MARU”でした。

その後も、なんせきの船がブラジルに日本人を乗せて、サントス港に到着しました。私のおじいちゃんとおばあちゃんは 1923年 にブラジルに移民しました。第一次世界大戦の終わりで (Fim da 1a. Guerra Mundial) 、日本には ”関東大震災” (O Grande Sismo de Kanto) が起こった年でした。(1923年に関東地方に発生した巨大地震 です。)

私のお父さんとお母さんは日系人同士で結婚しました。両親はブラジルで生まれたので日系人二世で、私は日系人三世です。私はブラジルで結婚して、男の子が一人います。その男の子はハーフで、日系人四世になります。

私が日本に来たのは、20年くらい前でした。ブラジルは不景気で、仕事もなかったからです。出稼ぎとして、スズキ工場に車の部品を作りに来ました。子供の教育のために日本でいっしょうけんめい働きました。

ブラジルでは子供の時からいい学校で勉強させたいと思うとお金がかかります。日本と違って、公立の学校では十分な教育ができません。

子供の教育が何よりも大切なことでしたので、日本へ来て、10年かん、子供が私立の学校で勉強できるため、毎月、お金の仕送りをしました。

そのおかげで息子は教育をしっかり受け、いい仕事につきました。

今、彼は奥さんと一緒にヨーロッパ、すなわち、オランダで生活しています。彼はブラジル国せきからオランダ国せきの交換を請求していますが、国せきを変えっても、日系人であることは変わりません。